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白い世界に抱かれ気ままに毎日新聞日曜版に連載された、橋谷晃の「雪の森を歩こう」を再録します。 先日、八ヶ岳の山々を歩いてきた。森林限界を超えた高山は、 ウラシマツツジやナナカマド、ダケカンバなど、 地面を這うような灌木が赤や黄色に染まり始め、 バックの青空とのコントラストが、眩しいほど鮮烈だった。 しかし今回の山旅でも、いちばん心に深く残ったのは、 中腹まで下って樹林帯に入ったときの、森に包まれるような感覚だ。 シラビソなどの針葉樹の林床には、分厚い苔の絨毯が、 累々と凹凸を繰り返しながら続いていた。 思わず手を触れてみたくなるような、ふかふかの苔の層。 凹凸は、半ば土になっている、かつての倒木だ。 その上に今年芽生えたばかりの幼木が、 小さいながらもその存在を主張するかのように、しっかりと立っていた。 幼木の周囲には、その誕生を祝福するかのように、 ゴゼンタチバナが鮮やかな赤い実をつけて並んでいる。 倒れて、土になり、また生まれる。この森は何千年の間、 それを繰り返してきたのだろうか。この下の地面には、 気の遠くなるような時の流れが、堆積しているのだろう。 さらに下って行くと、ミズナラやトチノキの、明るい広葉樹の森に変わる。 生き物たちの種類は増えて、樹も草も、さらにのびのびとした表情になった。 むせ返るような、樹と、水と、土の匂い。 高山の緊張感は解け、ゆったりとしたやすらぎが広がる。 森は、なぜこんなにも人の心を落ち着かせるのだろうか。 森林限界から上が神々の世界だとしたら、森はまさしくいのちの世界だ。 人間が森に生き、生かされていた縄文の狩猟採取の時代は、 その後の弥生から現代までにくらべると、はるかに長い、長い時間だ。 その頃の遠い記憶が、私たちの遺伝子のどこかに組み込まれているのかもしれない。 静かに深い呼吸をしながら歩くと、頭の中の想いは、 いつの間にか雪の森へと飛んでいた。「森に包まれる」という感覚を、 いちばん実感できるのが雪の森だ。 今、この両脇に広がる森には、 笹やぶが邪魔をして容易に入ってゆくことができない。 でもここに雪が積もれば、笹やぶや灌木などの障害は、雪の下にすっかり隠れる。 そしてスキーという雪に潜らない道具を使うことによって、 私たちの行動はとても自由になる。 ここに住む動物たちと同じように、道という人工物にとらわれることなく、 行きたいと思う方向に歩き、森の奥深く抱かれることができる。 そこが距離的には人里から遠い場所でなくても、 行動範囲が線から面に変わることで、感覚的には森の内側、奥深い場所になる。 気になる大木があれば、近づいて心ゆくまで触れてみる。 遊びたい斜面があれば、ふかふかの雪と戯れてみる。 ゆっくりとどまりたい場所があれば、熱いココアでも入れようか。 そんな、スキーを使った雪の散策、ハイキングを、ネイチャースキーと呼んでいる。 冬も自然を楽しみたい、そんな人たちにとっての、 「冬だからこそできる、自然の中での遊び」として注目され始め、 今や静かなブームとなって、確実に広がりつつある。 これから毎週日曜日、この紙面で私と一緒に、 森の自由な散歩を楽しんでみませんか?。 (1997年10月5日掲載) |