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人間性復権の願いを込めて毎日新聞日曜版に連載された、橋谷晃の「雪の森を歩こう」を再録します。 スキー発祥の地は、今から約400年前の北欧だとされている。 当時はスキーは交通手段であり、また狩猟の手段でもあった。 だから、かかとが上がって歩くことのできるスキーでないと、意味がなかった。 そんな時代が続き、スキーがヨーロッパ大陸を南に伝わってアルプスまで届いた時、 急峻で硬い氷河をどう滑るかかが問題になった。 そこで考えられたのが、かかとを固定したアルペンスキーだった。 そしてここ半世紀の間に、リフトの急速な普及にともなって、 アルペンはすっかりスキーの主流となり、現在に至っている。 それなのになぜ、最近になってかかとの上がるヒールフリーのスキーが見直され、 ふたたび広まりつつあるのだろうか。 これにはいくつかの理由が考えられるが、大きな理由の一つは、 今のゲレンデがあまりにも自然とかけ離れ、遊園地化して、 そのぶん静けさと自由がなくなってしまったからではないだろうかと、思うことが多い。 リフトを架けたゲレンデは、たしかに滑る楽しみを増やしてくれた。 滑ることは無条件に気持がいいし、滑りの技術を練習したいのなら、 リフトを使って何本も滑るのがいちばんだ。 しかし自然の中での遊びという、スキーが本来持っていた楽しみの要素はいつのまにか薄れ、 遊び方がすべてパックされた遊園地と同じ、インドア・レジャーに変わっていった。 一時期よりはすいてきたとはいえ、まだまだ週末になると、リフト待ちや、 人の集中による接触や衝突の危険、レストランの混雑、 ラウドスピーカーから聞こえてくるひび割れた音楽など、 人ごみにうんざりすることが多く、そこには都会の見えと喧騒が、 そのままそのまま持ち込まれている。 ブームの間は、それでも人は来た。 しかしブームが一段落するとともに、人々のレジャー観が、少しずつ2極分化を始めた。 一つは、より完全なパック化やインドア化を求める方向。 これらの人々は、 いくら快適といっても結局自分の身体を動かさなければならないゲレンデにはもう足を運ぼうとせず、 寒さも疲れもないバーチャルなゲームの世界に向かいつつある。 そしてもう一つの方向は、自然の中で、 都会の忙しさや喧騒から離れてゆっくりいやされたい、あるいはまた、 画一的な遊びだけでなく、そこに自由な創造性を求めたい、という傾向だ。 職場の人間関係や、毎日の通勤地獄も忘れて、 静けさの中にゆったりと身をおきたいという願いや、 用意されたお仕着せの遊びではなく、自分で楽しみを見つけだしたいという欲求は、 どちらも忙しい管理社会に対しての、いわば人間性回復の動きだ。 美しい森を歩いても、そこで何を感じるかは、その人の感性次第。 ヒールフリーのスキーには、そんな人間性復権の、静かな願いが込められているように思う。 (1997年11月2日掲載) |