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今年もハマってしまう人が毎日新聞日曜版に連載された、橋谷晃の「雪の森を歩こう」を再録します。 各地から初雪の便りが届き始めた。こうなると妙に落ち着かず、 思わずこみ上げてくる笑みをこらえながら、 昨シーズンのさまざまな光景が、頭の中を駆けめぐり始める。突然、 能舞台のようにあらわれる巨木のブナの森。 雪の上に寝転びながら眺めた、 白い山肌と濃紺の空。毎年少しずつ大きくなる、 大きなダケカンバの二股から芽生えた小さなシラビソの赤ちゃんは、 今年も元気だろうか。夜そっと外に出れば、 今年もフクロウは鳴いてくれるだろうか。 忙しいときでもにこにこ働く宿のお母さん、 暖炉で薪が燃えるにおい……。 そしてついに、 フカフカの新雪を滑ったときの快感が足の裏によみがえってくると、 もう座ってはいられない。木の床をソックスで滑りながら、 ヨダレを流さんばかりにニンマリと空想にふけっている図は、 とても人に見せられたものじゃあない。 しかし仲間うちや常連の参加者に聞いてみると、皆だれもが、 似たり寄ったりの状態らしいのだ。 四季を通して開催している自然スクールの中でも、 このネイチャースキーはとくに参加者の「ハマッてしまった」 度が強く、数多くのネイチャースキー病患者を生み出す。 その勢いたるや、あきらかに他の季節と一線を画している。 リピーター率も異様に高い。何がそんなに、 人々を魅きつけるのだろうか。 その大きな理由は、行動の自由さと、 それにともなう自然との一体感にあるように思う。 なにしろ、 目の前に展開する絵のような雪景色の中へ、 どの方向にも好きなように飛び込んで行ける。 他の季節は、 歩道という人工空間から森を眺める状態なのに対し、 これはまさに、 森の内側へ入って行ける。その森に住む動物たちと同じ行動が、 雪とスキーのおかげで可能になるわけだ。このことによる、 まわりの自然との一体感や、森の懐深く抱かれるという感覚は、 私自身が四季それぞれ楽しんでいる自然遊びの中でも、 もっとも強い。 もうひとつ、スキーという道具の持つ、遊びの要素も見逃せない。 雪の森に入るだけだったら、カンジキやスノーシューを使っても、 スキーより疲れるけれど、とにかく歩ける。 ただこれらは雪にもぐらないための、あくまでも移動の手段だ。 それに対してスキーは、もぐらないと同時に、 平地でも斜面でも滑るという快感と楽しみがともなう。これはまるで、 自分が雪上歩行適応型哺乳類に生まれ変わったかのような非日常的な快感で、 ひとことで言えば、退屈な瞬間のない遊びなのだ。 さらにまた、雪の感触が人の心にもたらす解放感が、 現場の楽しい雰囲気とおおいに関係があると思うのだが、 これはまた次の機会にふれよう。とにかく今年もまた、 ネイチャースキー病患者がたくさん出現することだけは、 間違いないだろう。 (1997年11月23日掲載) |