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気はやさしく力持ちのクマ毎日新聞日曜版に連載された、橋谷晃の「雪の森を歩こう」を再録します。 長野県の戸隠高原は、戸隠山と飯綱山の間にひろがる、 標高千数百メートルのなだらかな高原だ。 明るい広葉樹の森が多く、動物や鳥たちものびのびと生活している。 この森を雪の時期に訪れると、毎年まず確かめに行きたくなることがある。 ハンノキやシナノキの林をスキーで軽快に抜けて、夏道から遠くなったころ、 ブナの森が広がる一帯がある。 柔らかな幹の色合いに心を和ませながら、 空に向けてブナの枝が手を広げているあたりを見上げる。 あった。先端に近い枝の二またに、 大きな鳥の巣のように枯れ枝が積み重なっている。 近づいて幹の表面を見ると、 ちょうど大人の指の感覚と同じくらいの爪跡がついている。 爪跡がまだ生々しい木肌色なので、 この秋につけられた新しいものであることがわかる。 今年も生きていた。 安ど感とともに、この場所の「山おやじ」 へのあいさつを済ませたような気分になる。 大きな鳥の巣のようなものは、「クマ棚」と呼ばれる。 ツキノワグマの秋の主食は木の実だ。 彼等はけっしてどう猛な肉食獣ではない。 雑食性だが装飾に近く、動物性のものはほとんど昆虫類しかとらない。 なかでもブナの実が大好物。 少し脂っこくて、冬眠前の栄養を蓄えるにはもってこいの食べ物だろう。 ミズナラの実もよく食べる。 しかしこれらの実は、枝の先端近くに実る。 木登り上手のクマも、さすがにそこまで登ると体重で枝が折れてしまう。 そこで自分が登れる一番高い枝のまたまで登ったら、 そこから先の枝をエイヤッと抱え込み、束ねてお尻の下に敷いてしまう。 これで好物の実にいつでも手が届く。 あとは束ねた枝の上にドカッとあぐらをかいて座り、 一本ずつ手で折っては口もとに持っていき、実をほおばる。 こうして秋にできたクマ棚は、 落葉したこの時期なら遠くからでもすぐにそれとわかる。 この大きなブナの木の上で、 あぐらをかいて枝にむしゃぶりついている和製パディントン君の姿を想像して欲しい。 実態は気はやさしくて力持ちの、おとなしい動物なのだ。 彼らは人間をとても怖がっている。 だから予期せずに接近遭遇してしまえば、 捨て身の防衛行動に出ることはある。 特に子供を守ろうとする母グマの行動は果敢だ。 人間が持っている食料の味を覚えてしまったクマもいる。 これも残飯の不始末が原因なのだが。 いずれにしても、人間を好き好んで襲うような猛獣ではない。 しかし、「クマが出た」というだけで、悪さをしたわけでもないのに 「有害動物駆除」の申請が出され、 打ち殺されることがたびたびある目的は高価な値で売れる熊肝(くまのい)だ。 山は彼らの家なのだ。 彼らが本来いるべきところにいて、 それにたまたま出会ったといって大騒ぎする登山者や山菜採りの、 なんと多いことか。 クマの正確な暮らしぶりを多くの人に知ってもらえれば、 と思いながらクマ棚の下を去った。 (1998年3月15日掲載) |